ゴヤの幽霊
『宮廷画家ゴヤは見た』(imdb)って妙に下世話な邦題だし2006年の映画だし、今なぜゴヤの話なんだろうゴヤのことよく知らないんだけどさ。ともあれミロス・フォアマン監督の映画を長いこと観ていなかったなあと思い、観に行った。
以下、ネタバレます。
18世紀末のスペイン。カトリックの生臭坊主が異端審問の復活を唱え、とある豪商の娘がたまたま豚肉を食べなかったというだけで審問にかけられる。娘を取り戻したい父親は坊主を夕食に招き、拷問による告白など無意味だと説くが、坊主は聞く耳を持たない。すると、父親と息子たちはいきなり夕食の席でシャンデリアに坊主を吊り、拷問にかけて「私は猿です」という宣誓書に署名させる!
これにはけっこう度肝を抜かれる。ひとそれぞれだろうが、僕はグアンタナモや米国の拷問外注システムなどをたちまち連想してしまった。あれ?もしかしてそういう文脈なのかこの映画。違うかな。違ってもいいや。
その後は怒涛の展開だ。フランス革命が起こり、ナポレオンの兄がスペイン王となり、さらにはイングランド軍が攻めてくる。実に目まぐるしく、歴史劇ではあるがあり得ない偶然も全然平気、どこか寓話的な香りがする。生臭坊主は金と権力だけを目的にその後も変節を続けて生き残るが、最後には教会から死刑を言い渡される。再び神に忠誠を誓えば命だけは助けてやると言われるが、変節に次ぐ変節に疲れきったかのように、渡された十字架を放り出してハヴィエル・バルデム演じる生臭坊主は公開処刑で果てる。
ラストシーンの印象は、ただただ諸行無常。金と権力を盲信する愚かさと、宗教の欺瞞を漂わせ、しかも誰も断罪しないまま映画は終わる。エンディングで延々と映し出されるゴヤの本物の絵が、急にいろんな意味を帯びて見えてくる。いつだって、苦しむのは普通の人間だ。苦しめているのは誰か?誰でもない?嘘つけ。僕にとっては、この映画は最後まで「その文脈」の映画に見えた。つまり、21世紀のこの醜い始まりかたを描く映画だ。そのためにたまたまゴヤとその時代が選ばれたのだ…ってぜんぜん違ったりするのかも知れんけど、そう観ることが可能だというだけでこれはすぐれて21世紀の映画たり得ている。
ちなみにゴヤそのひとは、劇中でほとんど何もしない。なーんにもしない。ただ目撃し、描き続けるだけ。演じるステラン・スカルスガルドは陰鬱な無表情がデフォルトのようなスウェーデン人俳優だが、他の映画ではほとんど見たことないような穏やかな表情をあまり崩さない。別人みたいに見える。
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