幽霊の国、スパイの国
ウィリアム・ギブスン 浅倉久志◎訳 『スプーク・カントリー』 (amazon)
原書が2007年、邦訳は初版が2008年12月25日。ようやく読了した。思えば数ヶ月の間隔でグレッグ・イーガンの邦訳新刊(→拙記事)とギブスンの邦訳新刊が読めるなんて、新年と正月がいっぺんに来たような感じだな。
いきなり臨場感アート(locative art)なる概念が登場して、まあヘッドセットを使って現実の風景(例えばLAのクラブ、ヴァイパー・ルーム前の歩道)にバーチャル創作物(例えば心不全を起こしたリヴァー・フェニックス)を重ねてみせるという技術なのだが、もしこれがメインモチーフで最後まで行っちゃうんなら、同じアイディアの菅浩江『プレシャス・ライアー』(2003年)やアニメ『電脳コイル』(2007年)を経てしまった日本人にとってはいささかつらいなあ、と一瞬思ったんだけれども、この作品内ではそれは膨大な数のガジェット類のひとつでしかなくあっという間にどうでもよくなって、杞憂だった。どうでもよくなっちゃうのもちょっと惜しいけど。
いちおうの主人公は、解散した90年代のカルト・バンド<カーヒュー>の元ヴォーカリスト、ホリス。バンドに特定のモデルはないあるいは膨大にありそうだけれど、ベーシストの名前がレジ・インチメールというのは、語呂的にnine inch nailsを連想させる。そういう思わせぶりな要素は山ほどある小説なので、いちいち考え込んでいては読めませんが。主人公はホリスだけれど、彼女は特に何もしない。幾人かの人物が不思議なことをするのを、ただ目撃する。大勢に影響は与えないけれど、強烈にシニカルなことをするのを。
時代設定は、2006年の2月。2月であることにたぶん意味はないと思うが、解説に収録されているギブスン本人のインタビューによると今や「ひとつの時代は恐ろしく短い」という含意があるのだろう。
テクノロジーとポップカルチャーに関する膨大な情報がカタログのように詰め込まれていて、そのなかを登場人物たちは一見大きな必然性も強い動機もない様子で、漂うように動き回る。そうです。スタイルは前作『パターン・レコグニション』(2003年/邦訳2004年)とほぼ同じ。同じ人物も登場する。情報とキャラクターとが、高解像度大画面のあまたの画素のようにあるいは大気中のなにかのパーティクルのように、舞う。体温が低いマジック・リアリズム。
ところで前作は、911についての小説だった。
今作は、911とイラク侵略についての小説だ。あえて「侵略」と表記しているのはとりあえず僕である。
『パターン・レコグニション』においては、ビデオ信号のノイズのなかあるいは霧の森のなかをさまようようにして辿りついた先にあったのは、911についての果てしない「哀しみ」だけだった。それに対して、ギブスンは今作では一歩その先に進んでいると僕は思う。「哀しみ」の果てに現れる「諦め」と「怒り」の両立。一見矛盾するようなこのふたつの想念を、小説という形式でなら同時に表現できるんだと感じ入り、読み終えてひどく感動した。
これでも喰らえ、犬野郎。
うろ覚えだけれど、昨年末にバグダッドでの記者会見に現れたジョージ・W・ブッシュに靴を投げつけたイラク人記者の台詞は、こんな意味だったか。ギブスンも、体温の低いこの小説の行間で同じ台詞を吐いている。ただ、相手はブッシュよりもかなり大きくて、TVに映らない実在の人間たちだ。そうだ。これでも喰らえ、犬野郎。
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コメント
新年おめでとうございます。
ギブスンは角川から出ている『アイドル』の辺りで止まってしまっていました。グレッグ・ベアも『ダーウィン~』で止まってるし。久々にちょっと読んでみます。
投稿: TY | 2009年1月10日 (土) 00:45
>TYさま
今年もよろしくお願いします。
21世紀のギブスンは、それ以前とかな~り違います。SFなのかどうかさえよくわかりません。だらからこそ信用できる作家だと、思うのです。
もちろんBGMは、YMO『TECHNODON』収録の、『FLOATING AWAY』でどうぞ。
投稿: kensuke | 2009年1月11日 (日) 22:16