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2009年2月 4日 (水)

地球に落ちてきたミッチー

 ヒトクローン技術を扱った映画や小説に対してとりあえず僕は、最初から構えた態度で臨んでしまうくせがある。というのも現実の技術であるクローニングについて初歩的な理解がデタラメだったり、遺伝情報が同じであることと人格や自我との関係性(というか関係なさ性)がまったくわかっていなかったりする嫌な作品がわりと横行しているからだ。そんなわけで、中嶋莞爾監督の映画『クローンは故郷をめざす』も最初は構えて観はじめた。

 Clone

 脳内情報をコンピュータでバックアップしておきます、というあたりで一瞬突っ込みかけたが理屈づけはそれ以上まったくなく、作品のポイントはそこじゃないんだなとわかってきた。そして、クローニングで(記憶込みで)蘇ってきた人間を例えば家族が同じように愛せるのか、というテーマがせり出してきて、これはまるっきり萩尾望都『A-A’』だなと思った。さらに主人公にはかつて一卵性双生児の弟がいたという少年時代が描かれるのだが、これは同じく萩尾望都の『半神』だ。監督本人が書いた脚本は、そこに「共鳴」という言葉を乗っけることでちょっとジャパネスクな「魂の話」に持っていく。そして途中からは説明をまったく排して、映像で語ることに徹しはじめる。ふむ。なるほど。クローンと双子のアナロジーを通して、あるいはクローン体がそれぞれ個別の「想い」を抱えるという描写を通して、この作品はヒトクローンに関する余計な誤解をあまり招かずにむしろ「想いの一回性/再現不可能性」や「生と死の一回性/再現不可能性」というものを詩的に表現することに成功している。と思う。ただ、誤解を招く要素が皆無とは言えない。「記憶のバックアップ」にまつわる部分がクローンとはなんの関係のない架空の話だということは、何となく強調しておきたくなる。それにしてもこの監督、ほとんど萩尾望都だけをベースに物語を作ってるなあ。

 いっぽう映像のほうは、ひたすらタルコフスキー(一部キューブリック)だった。水と、霧と木漏れ日の、執拗な描写。冗長さをまったく恐れない長回しの連続。あえて緩急をつけない編集。タルコフスキーで眠くなるひとはまず眠くなる。実は僕もちょっとなった。寝なかったけど。

 いい映画だったな、と思いながらパンフレットを買ってみたら…なんと映画への萩尾望都さんのコメントが大きくレイアウトされているじゃないですか。やっぱりね。監督としては観て欲しかったんだね。ていうか観せておかないとあとでまずいってくらい影響受けてるしね。あ。また意地悪いことを書いてしまった。

 いい映画でしたよ。

 公式サイト

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