デヴィッド・フィンチャーの興味深い事例
映画『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』(imdb)を観たあと、監督のデヴィッド・フィンチャーって僕よりけっこう若かった気がするけど、なんだろう今回のこの枯れかたはむちゃくちゃ枯れてるじゃん、と思ってimdbで確かめてみたら、1962年生まれだった。なんだ、ひとつしか違わないか。でも、それでも枯れすぎてるよこれは。
今までの彼の作品にあったエッジーでソリッドでトリッキーなテイストはなりを潜めている。もちろん主人公の設定そのものやそれを映像化するためのCGI、要所要所の演出はちゃんとエッジーでソリッドでトリッキーで、あちこちにすさまじく不可思議な映像がさりげなく散りばめられてはいるのだが…なんというかそれらが物語に対して全然貢献していない気がする。そもそも主人公の「数奇な」設定そのものが、あまり生かされてるように思えないのだ。
劇中、さまざまなひとびとのさまざまな人生が点描される。多くのひとの「穏やかな死」が描かれる。映画の基本的な語り部は老いて病床にあるケイト・ブランシェット(たぶん特殊メイクの本人ですよね)なので、死を目前にしたひとの人生思い出悲喜こもごもの物語…としては、順当に観ていられる。でも、それだけなら主人公の「数奇な」設定は別にいらないし、別にフィンチャーが撮らなくてもいいじゃんよ…というのは、ファンの勝手な決めつけなんですが。
始まりと終わりが対をなしている。
冒頭、第一次世界大戦で息子を失った盲目の時計職人(Blind Watchmaker!)が、針が逆に回る時計を作る。時間を巻き戻せば、失われた命が取り戻せるかのように。
ラスト、倉庫で壊れたまま眠っていたその時計は、ニューオーリンズを襲ったハリケーン、カトリーナの波に押し流されて、再び動き始める。もちろん再び逆向きに。
ところでなんでカトリーナ?
この時計を21世紀に蘇らせるのがカトリーナじゃなくて同時代に起こった別の出来事だったなら。自然災害じゃなくてせめて第一次世界大戦に呼応するような、少なくとも人間の営みだったなら。僕はそこに無理にでも政治的含意を読み込んで、納得したかも知れない。監督、なにがやりたかったのかなあ。わかりませんでした。
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コメント
カトリーナは単なる自然災害ではなく、地球温暖化による人災だと考えればいかがでしょうか。
ブッシュ政権は環境問題無視で国益、というか一部の人間のためだけの政策を採り続けてきたと思います。
投稿: H2O | 2009年2月17日 (火) 23:37
>H2Oさま
なるほど、確かに。
それにカトリーナは、被災後の救援活動の無策さも、ある種の人災ですね。よその国で戦争することはできるくせに、自国民をまともに助けることはできない、という。
そういう意味では、フィンチャーは今までどおりアメリカのダークサイドを見つめているのかも知れません。(でも今作では、それがすごく気づかれにくい…ような気もします)
投稿: kensuke | 2009年2月18日 (水) 20:48